【逃げることはぶつかること】って言葉がすごく心に刺さった。
最近、知り合った人に愛さん(あいぼん)という人がいる。
愛さんはヒッチハイクの旅や50円で自分を売ったり、5円を配ったり、なんと大学の卒論を売ったりその講演をやったりしている人です。あいぼん哲学ってブログも書いてます。大学卒業したばっかりなのにこの人すっごいんです。 吹っ切れてる。生き方も考え方も。どうしてこういう考え方生き方をするようになったか、これからどんな風になっていくのか注目している人です。
そんな愛さんのブログにアップされていた言葉が心に刺さったので紹介します。
新しいことを始める時逃げてるんじゃないかと思う
何か今の現実を変えるために行動する時、自分でも他人にも前向きな〇〇とか言いつつも、やっぱり心のどこかに逃げてるだけなんじゃないかって気持ちがある。
例えば、楽しくないからという理由で習い事を辞める時
確かに楽しくないのは事実。でもできなくて楽しくない、できないから楽しくないだけなんじゃないか。できないことから逃げてるんじゃないか
例えば、違うチームを移籍する時
目標にしていたワンランク上のチームに行くんです!
でもそれってこのチームを自分が強くできなかっただけなんじゃないか。
例えば転職する時
新しい環境でやってみたいことがあるんです!彼女とも近くにいれるんです!
でも本当は嫌いな人から逃げたかっただけなんじゃないか。そもそも同じ会社で勤められないなんて社会から逃げてるだけじゃないのか。
最近、僕も仕事を辞めるって伝えた。今思い返すと「逃げてるんじゃない逃げてるんじゃない」って必死に自分に言い聞かせていた。
そのくせ、逃げたっていいじゃないか自分の人生なんだからいいんじゃないかって思ってもいた。いろんな感情が湧き出てきて混乱していた。そんな中で新しい選択をしようとしたけどうまくいっていないのがよくわかっていた。
僕は先輩の救いがあり一旦頭をスッキリさせることに専念できている。それでもやっぱり逃げていたのかな、これから大丈夫かな、どうしようって思っている。
逃げることはぶつかること
何かから逃げることは別の何かに向かうこと。「現実逃避」は「現実」を直視するがゆえに逃げたくなる(か本当に逃げる)のだと思うけど、それは現実にぶつかったからこそうまれた行動で、「現実逃避」は現実に立ち向かう行為なのでは、と思ったり。
愛さんはこう書いている。この記事を読んで逃げること、向き合うこと、ぶつかることについて考えてみた。
僕も「現実逃避」は現実に立ち向かってぶつかっていく行為だと思った。
そして「現実逃避」にはとても勇気がいる。
仕事が嫌だという「現実」は知っていたけど、それと向き合おうとせず目をそむけていた。つまり僕は「現実」と向き合わずに嫌だと感じている自分のことも無視して見て見ぬフリしていたのだ
行動としては何もしていないことになる。あえて言うと、目をつむっただけだ。ちゃんと向き合えずにいたら自分ではどうしようもなくなって。スイッチが切れた。
嫌だと思っている「現実」と目をしっかり開けて向き合った結果、その「現実」から逃げ出す。辛い現実を真正面からぶん殴ってぶち壊して乗り越えていく方法。これが正攻法。
逆に嫌だと思っている「現実」と目をしっかり開けて向き合った結果、違う方を向いて逃げ出す。これが裏の手(…正攻法の反対語は裏の手らしいです)
なんか逃げるとか裏の手って言葉がしっくりこなくて考えた。
例えば自分の人生がすごろくだったら
自分のすごろくがあるならいまの辛い現実を乗り越えても6マス全部マイナスの辛いマス。その先もずっとマイナスの辛いマス。これが「現実」
で、それならばとそんなおっかないサイコロふらずに新しいすごろくの紙に変更しようって切り替える。発想の転換。そう考えると逃げるってことはすごく妥当な判断だ。要するに正面パンチの真っ向勝負ではない方法で嫌な現実を変えようってやり方だ。
なんでもいい!大丈夫!
自分で逃げてるなと思っていようが、前に進んでるんだと思っていようがやってみた結果どうなろうが、全部まるっと大丈夫!
人生を映画に見立てると、どのシーンも大切でかけがえのない自分。
愛さんはこう書いてる。
この人生を映画に見立てるって視点が面白い。
不安や葛藤や恐怖と希望などなど色々と感じながら踏み出している渦中の人にとっては新しい視点だ。自分を客観的にみることができる。
僕もその視点で考えたらだいぶ楽になったし、なんというか自分ってやつがまた少し好きになれた。そして今、不安や葛藤、恐怖、希望などなどいろんなことを感じてごちゃごちゃしてる自分を受け入れられた。
人生一度きり、自分の好きなように生きよう!
逃げるときのざわざわ感の正体
何かから逃げるとき不安や葛藤、恐怖、そういうざわざわ感がある。
それって目に見えないし、勝手に自分が考えているだけ。それはわかってるけどざわざわ感を感じているのは自分の心に手をあてて聞いてやると間違いない事実。
で、目をつむって想像してみた。
逃げるってどうなってんだろうって。
頭の中で想像した図です。
💃 ⇨ ⇦ 🏃現実
(向き合った状態)
僕は向き合うのがきつくて目をつむっていました。
💃 ⇨ 💥💥💥 ⇦ 🏃現実
(現実とぶつかって)
⇦ 🏃 ⬅︎ 🏃現実
(現実から逃げてる状態)
赤い矢印がざわざわ感の正体だ!って気がついた。
これ伝わってるかな?
反対の方向や進むと決めたら(逃げたら)現実からの視線を背中に感じてるんです。
なるほど、今までの現実から逃げる=背を向けて進むってことだったんです。
だから逃げ出すことにはざわざわ感が付いてきて当たり前なんだ。そういうざわざわ感を感じていることはおかしなことなんかじゃない。そんな風に思う自分を不安がったり心配してやらなくていいんだ。それがわかってほっとした。同時にちゃんと感じてやろうとも思った。
ある人が言っていたけど、やってみたいと思っていたことを実際にやってもどこか満たされずモヤモヤしていても何の問題もなく、むしろ自分はそのモヤモヤした感情を感じたくて自分はやってみたことに気がついたそう。
これを聞いて、そうかそれならそういうモヤモヤザワザワした感情をちゃんと感じきってやろうとなお思ったんだ。
自分で決めて逃げていい
今日は「逃げること」について色々と書いてみた。逃げることというのは一見マイナスな印象がある。一度逃げ出すとそれから向き合うのが難しいってことも経験や先生や先輩なんかからたくさん教えられてきた。だからこそ逃げ出す時は勇気がいる。ためらいもする。なかなか言えないこともある。
でも逃げ出したいほど嫌って思っている自分を無視しないであげてほしい。少しでもいいから嫌なことや辛いことを吐き出してほしい。
逃げ出したっていい。間違った道を選んでもいい。ただ苦しみ続けるのは違う。苦しい現実は変えよう。
僕もまだまだ不安を感じるし、怖いとも思う。正直、お金のこと、子供のことを考えると不安だ。
これからも不器用ながらも、自分に正直に自分も周りにいる人を大切にして楽しい人生を送っていきたい。
☆matsurich☆